幸せとは 毒にも薬にもなり得る音楽と駄文製造機

幸せとは

 

ハヌマーンの幸せのしっぽを聞いて、この曲周辺の記事を読んでみた。

 

ある人は恋愛が成就することこそ幸せと言っていた。

悲しみを肯定されることがこの曲の意義と言ってる人もいた。

 

最近先輩と話した時に、話さずとも分かっていたことだが、私は対人に幸せ、自己肯定を求め過ぎている。

てか幸せってしっぽ生えてんの?どんな形してんの?

私にとっての幸せとは何?

 

最低限の環境下で人間らしくいることなのか。

人間らしくとはなんなのか。

恋人がいることなのか。

恋人と言えずとも誰かのセフレであればいいのか。

幸せそうな友人を持つことなのか。

友人とご飯に行ったり遊んだり、小さなことの積み重ねなのか。

もっと大きな意味で私にとっての幸せを定義付けしたい。そうじゃないと幸せになれる気がしない。これ自体が間違いな気もするが。

 

正直ひとりぼっちでも満足していたい。

自分のことが好きになりたい。

それができない、疲れた、涙が出る。

 

自慰を広義に取って

食事も自慰

睡眠も自慰

喫煙も自慰

人に会うのも自慰

音楽を聴くのも自慰

祖母、父を想うのも自慰

 

今はある程度のお金があって満足している、被扶養者なので。

まじであれ、マズローの欲求5段階のやつ。ちゃんと段階踏んで分析したら分かるのかも、腰重くてやらんけど。

 

ハヌマーンを聴いていると山田亮一の深過ぎる歌詞と思慮の海に溺れて右も左も分からなくなる。音楽は毒にも薬にもなるのよな。

明日も私が幸か不幸か、自分自身で選べるくらい平和なんだよな、そんなこと言ったらきりがないけど。根本的に何も解決してないけど。

 

こんなにだらだら文字を起こしてたけど、無くしてたAirPodsの片方見つけて私は満足してる、クソチョロ。